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東京地方裁判所 昭和38年(ワ)9290号 判決 1969年10月06日

昭和三八年(ワ)第八七九七号、第九二九〇号、第九五七〇号事件原告 小笠原島硫黄島帰郷促進連盟

右代表者委員長 横田竜男

右訴訟代理人弁護士 大月和男

同 織間三郎

昭和三八年(ワ)第八七九七号事件被告 今井庄市

昭和三八年(ワ)第九二九〇号事件被告 植野春雄

昭和三八年(ワ)第九五七〇号事件被告 熊沢はつよし

右被告三名訴訟代理人弁護士 牧野内武人

同 飯田孝朗

同 古波倉正偉

右訴訟復代理人弁護士 安藤寿朗

同 床井茂

主文

被告今井は原告に対して金十万円、およびこの内金一万円に対する昭和三十三年十二月二十三日から、内金一万円に対する昭和三十四年十二月二十三日から、内金二万円に対する昭和三十五年十二月二十日から、内金二万円に対する昭和三十七年三月二十七日から完済に至るまでいずれも百円について一日二銭三厘の割合による、内金四万円に対する昭和三十八年十月二十四日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

被告植野は原告に対して金四十七万円、およびこの内金一万円に対する昭和三十三年十二月二十三日から、内金一万円に対する昭和三十四年十二月二十三日から、内金二万円に対する昭和三十五年十二月二十日から、内金二万円に対する昭和三十七年四月六日から完済に至るまでいずれも百円について一日二銭三厘の割合による、内金三十万円に対する昭和三十年八月十一日から、内金十一万円に対する昭和三十八年十一月十三日から完済に至るまでいずれも年五分の割合による金員の支払いをせよ。

被告熊沢は原告に対して金六万五千円、およびこの内金一万円に対する昭和三十三年十二月二十三日から、内金一万円に対する昭和三十四年十二月二十三日から、内金二万円に対する昭和三十五年十二月二十日から、内金二万円に対する昭和三十七年三月二十八日から完済に至るまでいずれも百円について一日二銭三厘の割合による、内金五千円に対する昭和三十八年十一月二十四日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

原告の各被告に対するその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告らの、各負担とする。

この判決は、主文第一ないし第三項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一、当事者が求める裁判

原告

「被告今井は原告に対して金十五万四千四百五十四円、およびこの内金一万円に対する昭和三十三年十二月二十三日から、内金一万円に対する昭和三十四年十二月二十三日から、内金二万円に対する昭和三十五年十二月二十日から、内金二万円に対する昭和三十七年三月二十六日から完済に至るまでいずれも日歩二銭三厘の割合による金員、内金四万円に対する昭和三十六年一月三十日から完済に至るまで日歩二銭七厘の割合による金員、内金五万四千四百五十四円に対する昭和三十八年十月二十四日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

被告植野は原告に対して金七十二万三千七百七十五円、およびこの内金一万円に対する昭和三十三年十二月二十三日から、内金一万円に対する昭和三十四年十二月二十三日から、内金二万円に対する昭和三十五年十二月二十日から、内金二万円に対する昭和三十七年三月二十七日から完済に至るまでいずれも日歩二銭三厘の割合による金員、内金三十万円に対する昭和三十年七月十二日から、内金三十六万三千七百五十五円に対する昭和三十八年十一月十三日から完済に至るまでいずれも年五分の割合による金員の支払いをせよ。

被告熊沢は原告に対して金二十六万五千九十九円、およびこの内金一万円に対する昭和三十三年十二月二十三日から、内金一万円に対する昭和三十四年十二月二十三日から、内金二万円に対する昭和三十五年十二月二十日から、内金二万円に対する昭和三十七年三月二十六日から完済に至るまでいずれも日歩二銭三厘の割合による金員、内金二十万五千九十九円に対する昭和三十八年十一月二十四日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決、および仮執行の宣言。

被告ら

それぞれ第一次に、「原告の請求を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

それぞれ第二次に、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

≪以下事実省略≫

理由

第一、原告の当事者能力について

≪証拠省略≫を合わせて考えると、次の事実が認められる。

原告は、昭和二十二年七月十五日、東京都台東区下谷竹町小学校で開催された引揚島民大会において、小笠原島および硫黄島の元住民で、昭和十九年に官命により退島した者(旧島民)の小笠原島、および硫黄島への帰郷促進の運動、会員が小笠原島、および硫黄島に有している資産、権利等の確保に関する運動、会員の事業、生活等に対する援護、会員の連絡の強化、親睦を計ること、会員の更生、権利増進に必要な事業等を行うことを目的とし、小笠原島、および硫黄島に生活の本拠を有した旧島民の世帯の世帯主五、六百名によって結成され、同時に連盟規約を制定し、右規約で、原告の現名称、右のとおりの目的、その事務所を東京都に置くこと、原告は旧島民をもって組織する、旧島民でなくても、小笠原島、硫黄島に本籍を有し、原告の趣旨に賛同するものは準会員となることができること、集団、または近接して居住する会員二十名以上が協議連署して規約、名簿ならびに代表者を届出て委員会の承認を得て支部をおくことができること、地区委員三十二名、およびその三分の一以内の支部代表委員をおき、右委員によって委員会を構成し、定時委員会を毎年四月開催し、定時委員会は、予算、決算、規約改正、事業に関する事項等を決議し、役員の選挙を行うこと、委員の互選によって、任期を一年とする委員長一名、副委員長一名、常任委員若干名の役員をおくこと、委員長は原告を代表し、会務を管掌し、副委員長は委員長を代理し、常任委員は会務を分掌すること、委員会、役員会は総数の二分の一以上の出席により成立し、決議は出席者の過半数をもって決すること等が定められるとともに、右大会の議長であった菊地虎彦に右規約に定める地区委員三十二名の選任が委任され、同人によって地区委員三十二名が選任され、その互選によって菊地虎彦が委員長に選出された。その後、昭和二十四年頃、菊地虎彦は委員長、および委員を辞任し、爾後横田竜雄が委員の互選によって委員長に選出されている。原告は、その成立の当初から昭和二十九年頃までの間は、主として前記の目的のうち、帰郷促進運動を行っていたが、昭和二十九年頃からは個々の旧島民の権利に関係する旧島民に対する補償獲得運動を行うようになったことから、昭和三十年一月頃、委員会の決議によって、地区委員の定数を三十四名に改めるとともに、地区委員は当該地区(小笠原島、および硫黄島の旧各村、ならびに北硫黄島)の居住民であった会員間の選挙によって、支部代表委員は支部長の互選によって、選出し、その任期を二年とする等の連盟規約の改正を行うとともに、地区委員選挙規定を定めた。そして、右改正規約、および選挙規定に基いて、昭和三十年から昭和三十六年まで二年ごとに三月ないし四月頃地区委員の選挙が行われ、旧島民の世帯主総数約千七百ないし千九百名の七十数パーセントの投票によって地区委員が選出され、また、前記の連盟規約の規定に基いて結成された原告の支部の支部長の互選により支部代表委員が選出され、地区委員、支部代表委員合計四十名余によって委員会を構成するとともに、前記の連盟規約の規定に定める役員を選任し、右の委員会、役員によって、原告の意思決定、その執行が行われた。そして、日本政府のほかは主として原告が行った運動の結果、昭和三十五年頃になって米国政府から小笠原島、硫黄島の旧住民に対する補償金の支払いがほぼ確実となり、補償の対象とされるべき権利、補償金の配分方法等に関する意見の相違から、土地所有者委員会、農業同志会等の団体が結成されるようになるまでは、旧島民の前記のような目的の団体としては、原告が唯一の団体であったため、昭和二十九年から昭和三十一年にわたって日本政府が支出した旧島民に対する見舞金合計約一億五千五百七十五万円(但し、この内約一億三千九百万円は、米国政府から補償金が支払われたときには、返還するという約束で交付されたもの)は、原告に交付され、原告を通じて旧島民に配分され、また、昭和二十九、三十年に東京都が旧島民の更生事業資金として支出した合計三千五百万円も原告に交付され、原告は右の東京都から交付を受けた資金、および前記の政府から交付を受けた見舞金の一部の合計三千八百六十万円をもって、旧島民を株主とする小笠原漁業株式会社を設立し、また、昭和三十三年から昭和三十五年までの毎年年末には、原告が市中銀行から合計八千万円を借受けて、旧島民に対するいわゆる年末越年資金の貸付を行った。

右のように認められるのであり、右認定を覆すに足りる証拠はない。右認定事実によると、原告は前記のとおりの目的をもって、小笠原島、硫黄島に生活の本拠を有した旧島民の世帯の世帯主たる会員によって構成される団体であり、団体意思の形成、その執行、団体の代表等その組織、運営に関する規範を有し、構成員の変動にかかわらず団体としての同一性を持続して、その目的とされた運動、事業を行ってきたものであり、地区委員の選挙が行われるようになった昭和三十年四月頃以降は、間接的ではあるが構成員による多数決の原則が行われてきたものであるから、原告は社団であるということができ、法人格を有しないけれども、民事訴訟法第四十六条によって訴訟当事者能力を有するものである。

原告が、原告への入会手続についての規定を定めていないことは、当事者間に争いがなく、したがって、原告への入会手続自体が行われていないことは原告が自認しているところであるが、前記認定のとおりの連盟規約に基く原告の支部設置の届出でによる原告の会員たることの表示、地区委員選挙の投票による原告の会員たることの表示によって、原告の会員であることを認定することは可能であったと認められるから、原告への入会手続自体が行われなかったということから、原告が社団といえないほど、その構成員が甚しく不明確をものであるということはできない。また、原告が会員総会に関する規定を定めていないこと、原告が毎年会員総会を開いたということがないことは当事者間に争いがない。しかしながら、民法第三十七条が総会に関する規定を社団法人の定款の必要的記載事項としていないことを考えると、原告に会員総会に関する規定がないということをもって、ただちに、原告がその意思決定機関としての会員総会の存在を積極的に否定したものということはできず、かえって、原告が昭和三十八年十月二十八日に千代田区公会堂において、米国政府よりの見舞金配分案承認の件、連盟経費承認の件等を議案とする会員総会を開いたことを主張していることからすれば、原告は、その意思決定機関としての総会の存在自体は否定してはいないものと解しうるし、社団法人の社員総会の専決事項は、定款の変更と、任意解散に限られることを考え合わせると、原告に会員総会に関する規定がなく、毎年少くとも一回の会員総会を開くということがなかったことは、原告の民主的管理、運営という点において、著しい欠陥があり、原告の理事者たる役員はその任務過怠の責を負わなければならないといいうるけれども、原告が社団であることを否定しなければならないものとは解されない。右のほか、被告らが主張する原告の役員の選任に関する規定の不備、地区委員の選挙について最低得票数の定めがないこと、資産の管理、監査に関する規定の不備等も、原告が社団であることを否定しなければならないものとは解されない。

第二、原告の各被告に対する貸金の返還請求について

(一)、被告今井に対する請求について

(1)、原告が被告今井に対して、(イ)、昭和三十三年十二月二十三日、一万円、(ロ)、昭和三十四年十二月二十三日、一万円、(ハ)、昭和三十五年十二月二十日、二万円、(ニ)、昭和三十六年十二月二十六日、二万円、(ホ)、昭和三十六年一月三十日、四万円、をそれぞれ交付したことは当事者間に争いがない。

(2)、≪証拠省略≫を合わせて考えると、右(1)の(イ)ないし(ホ)の金員はいずれも原告が被告今井に貸付けたものであり、そのうち、(イ)、(ロ)、(ハ)の各金員は、いずれも弁済期限を一年以内、利息は銀行の貸付利息程度、と定めて、(ニ)の二万円は、弁済期を三箇月後とし、弁済期までの利息四百円ないし五百円を天引きして、貸付けたものであることが認められる。原告は右(1)の(ホ)の四万円の貸付金について、日歩二銭七厘の利息を支払う約束があったと主張するが、右貸付金について利息を支払う約束があったことを認めるに足りる証拠はない。≪証拠判断省略≫

(3)、被告今井の相殺の抗弁について

被告今井は、昭和三十五年九月、同被告と原告の副委員長浅沼啓三郎との間で、米国政府から旧島民に対する補償金の支払いを受けるため、被告今井が原告と土地所有者委員会との間の紛争の解決に努力し、補償金が支払われるようになったときは、原告が被告今井に対して百万円を報酬として支払うという約束が結ばれたと主張し、被告今井、同植野各本人(各第一、二回)の供述のうちには、右主張にそう供述があり、また、≪証拠省略≫によると、米国政府から支払われる補償金の旧島民に対する配分方法について原告と土地所有者委員会との間に紛争があり、被告今井が右紛争解決のため、仲介活動を行ったことは認められるけれども、≪証拠省略≫に照らして考えると、被告今井、同植野各本人の供述のみで、被告の右主張の報酬支払約束の成立を認めるに十分ではなく、他に右約束の成立を認めるに足りる証拠はない。してみると、右約束の成立を前提とする被告今井の相殺の抗弁は、他の点について判断するまでもなく採用できないものといわなければならない。

(4)、右(3)の抗弁のほかには、前記(2)に認定した原告の各貸付による債権の消滅原因の存在について何も主張がない以上、被告今井は原告に対して、前記(2)認定の貸付による債務を弁済すべき義務を負っているといわなければならない。

ところで、原告は前記(1)の(イ)ないし(ニ)の各貸付金については日歩二銭三厘の割合による利息、遅延損害金の支払いを求めているが、右の利率は、当裁判所に顕著な一般金融機関の貸付利率の事例に照して考えると、前記(2)に認定した前記(1)の(イ)ないし(ハ)の各貸付金についての、「利息は銀行貸付の利息程度」という約定の範囲内であると解するのが相当であり、また前記(2)に認定した前記(1)の(ニ)の二万円の貸付金の利息の天引額からすれば、右貸付金についても、少くとも日歩二銭三厘の割合による利息(元本二万円に対する日歩二銭三厘の割合による九十日分の利息は四百十四円となる)を支払う約定が黙示的にはなされていたと認めるのが相当である。さらに、≪証拠省略≫を合わせて考えると、原告は被告今井に対する本件訴の提起前に、被告今井に対して前記(1)の(ホ)の四万円の貸付金についてもその弁済を請求し、本件訴の提起当時、既に右貸金返還のための相当期間を経過していたものと認めるのが相当であり、本件記録によると、昭和三十八年十月二十三日、本件訴状が被告今井に送達されたことが認められる。

してみると、原告の被告今井に対する各貸金の返還請求は、(イ)、昭和三十三年十二月二十三日に貸付けた元本一万円、(ロ)、昭和三十四年十二月二十三日に貸付けた元本一万円、(ハ)、昭和三十五年十二月二十日に貸付けた元本二万円、およびこれらに対する各約定弁済期限までの日歩二銭三厘の割合による利息、その各翌日以降の同率の遅延損害金、(ニ)昭和三十六年十二月二十六日に貸付けた元本二万円、およびこれに対する約定弁済期の翌日である昭和三十七年三月二十七日以降の同率の遅延損害金、(ホ)、昭和三十六年一月三十日に貸付けた元本四万円、およびこれに対する本件訴状が被告今井に送達された翌日である昭和三十八年十月二十四日以降の民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める限度においては理由があるが、右の限度を超える部分は理由がないといわなければならない。

(二)、被告植野に対する請求について

(1)、原告が被告植野に対して、(イ)、昭和三十年一月十一日、十万円、(ロ)、同月十八日、十万円、(ハ)、昭和三十二年三月七日、二万二百七十五円、(ニ)、昭和三十三年十二月二十三日、一万円、(ホ)、同月二十九日、三千五百円、(ヘ)、昭和三十四年十二月二十三日、一万円、(ト)、昭和三十五年十二月二十日、二万円、(チ)、昭和三十六年一月三十日、十一万円、(リ)、昭和三十七年一月五日、二万円、(ヌ)、昭和三十年四月十二日、三十万円、をそれぞれ交付したことは当事者間に争いがない。

(2)、≪証拠省略≫を合わせて考えると、右(1)の(ニ)、(ヘ)の各一万円、(ト)、(リ)の各二万円は、前記(一)の(2)に認定した原告の被告今井に対する前記(一)の(1)の(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)の各金員の貸付とそれぞれ同様の弁済期限、利息の定め、および利息の天引きをして原告が被告植野に貸付けたものであること、右(チ)の十一万円は、前記(一)の(2)に認定した被告今井に対する前記(一)の(1)の(ホ)の四万円の貸付と同時に、原告が被告植野に対して貸付けたものであること、右(1)の(ヌ)の三十万円は、漁船福徳丸の出漁の仕込資金に充てるため、原告が被告植野、および佐々木弘夫、佐々木六男の三名を連帯債務者とし、右漁船の当該出漁航海による漁獲物の売立の時に弁済するという定めで貸付けたものであること、右漁船の一航海の出漁期間は概ね三箇月間と考えられていたことが認められる。≪証拠判断省略≫

原告は、右(1)の(イ)、(ロ)、(ハ)、(ホ)の各金員も、原告が被告植野に対して、弁済期、利息を定めないで貸付けたものであると主張するが、≪証拠省略≫のみでは、右各金員が被告植野に対する貸付金として交付されたものであると認めるに十分であるとはいえず、他に右各金員が被告植野に対する貸付金として交付されたということを認めるに足りる証拠はない。

(3)、右(2)に認定した原告の各貸付による債権の消滅原因の存在について何も主張がない以上、被告植野は原告に対して、右(2)認定の各貸付による債務を弁済すべき義務を負っているといわなければならない。

ところで、原告が右(1)の(ニ)、(ヘ)、(ト)、(リ)の各貸付金についての約定利率であると主張する日歩二銭三厘の利率が、右各貸付金についてなされた利息の利率に関する約定の範囲内であると認められること、原告から被告植野に対して、右(1)の(チ)の十一万円の貸付金の返還請求がなされ、かつその返還のための相当期間が、本件訴の提起当時既に経過していたと認められることは、前記(一)の(4)に記載したと同様である。そして、本件記録によると、昭和三十八年十一月十二日、本件訴状が被告植野に送達されたことが認められる。原告は右(1)の(ヌ)の三十万円の貸付金について、昭和三十年七月十一日にその弁済期が到来したと主張するが、右(2)に認定した事実によると、右金員を貸付けた昭和三十年四月十二日から三箇月の経過によって直ちに弁済期が到来したとはいえないが、遅くとも同年八月十日(貸付の日から四箇月が経過する前日)にはその弁済期が到来したものということができる。

してみると、原告の被告植野に対する各貸金の返還請求は、(a)、昭和三十三年十二月二十三日に貸付けた元本一万円、(b)、昭和三十四年十二月二十三日に貸付けた元本一万円、(c)、昭和三十五年十二月二十日に貸付けた元本二万円、およびこれらに対する各貸付日から各約定弁済期限までの日歩二銭三厘の割合による利息、その各翌日以降の同率の遅延損害金、(d)、昭和三十七年一月五日に貸付けた元本二万円、およびこれに対する約定弁済期の翌日である同年四月六日以降の同率の遅延損害金、(e)、昭和三十年四月十二日に貸付けた元本三十万円、およびこれに対する約定弁済期後である同年八月十一日以降の民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金、(f)、昭和三十六年一月三十日に貸付けた元本十一万円、およびこれに対する本件訴状が被告植野に送達された翌日である昭和三十八年十一月十三日以降の同率の遅延損害金の各支払いを求める限度においては理由があるが、右の限度を超える部分は理由がないといわなければならない。

(三)、被告熊沢に対する請求について

(1)、原告が被告熊沢に対して、(イ)、昭和三十三年十二月二十三日、一万円、(ロ)、昭和三十四年十二月二十三日、一万円、(ハ)、昭和三十五年十二月二十日、二万円、(ニ)、昭和三十六年十二月二十七日、二万円、をそれぞれ交付したことは当事者間に争いがない。

(2)、≪証拠省略≫を合わせて考えると、右(1)の(イ)、(ロ)の各一万円、(ハ)、(ニ)の各二万円は前記(一)の(2)に認定した原告の被告今井に対する前記(一)の(1)の(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)の各貸付とそれぞれ同様の弁済期限、利息の定め、および利息の天引きをして、原告が被告熊沢に貸付けたものであること、昭和三十四年十月十四日、原告が被告熊沢に対して五千円を貸付けたことが認められる。≪証拠判断省略≫

(3)、右(2)に認定した原告の各貸付による債権の消滅原因の存在について何も主張がない以上、被告熊沢は原告に対して、右(2)認定の各貸付による債務を弁済すべき義務を負っているといわなければならない。

ところで、原告が右(1)の(イ)ないし(ニ)の各貸付金についての約定利率であると主張する日歩二銭三厘の利率が右各貸付金についてなされた利息の利率に関する約定の範囲内であると認められること、原告から被告に対して、右(2)に認定した五千円の貸付金の返還請求がなされ、かつその返還のための相当期間が本件訴の提起当時既に経過していたと認められることは、前記(一)の(4)に記載したと同様である。そして、本件記録によると、昭和三十八年十一月二十三日、本件訴状が被告熊沢に送達されたことが認められる。

してみると、原告の被告熊沢に対する各貸金の返還請求は、(イ)、昭和三十三年十二月二十三日に貸付けた元本一万円、(ロ)、昭和三十四年十二月二十三日に貸付けた元本一万円、(ハ)、昭和三十五年十二月二十日に貸付けた元本二万円、およびこれらに対する各貸付日から各約定弁済期限までの日歩二銭三厘の割合による利息、その各翌日以降の同率の遅延損害金、(ニ)、昭和三十六年十二月二十七日に貸付けた元本二万円、およびこれに対する約定弁済期の翌日である昭和三十七年三月二十八日以降の同率の遅延損害金、(ホ)、昭和三十四年十月十四日に貸付けた元本五千円、およびこれに対する本件訴状が被告熊沢に送達された翌日である昭和三十八年十一月二十四日以降の民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める限度においては理由があるが、右の限度を超える部分は理由がないといわなければならない。

第三、原告の各被告に対する経費負担金の請求について

(一)、昭和三十八年七月までに、被告らが日本政府から、米国政府の支払いに基づく配分補償金の支払いを受けたことは当事者間に争いがなく、被告らが支払いを受けた配分補償金の五パーセントが、被告今井については五万四千四百五十四円、被告植野については三万円、被告熊沢については二十万九十九円となることは、各被告らがいずれも明らかに争わないから、これを自白したものとみなされる。

(二)、≪証拠省略≫を合わせて考えると、昭和三十七年十一月二十六日、原告の地区代表委員、支部代表委員の総数の二分の一以上である委員二十四名が出席して開催された委員会において、出席委員全員の賛成で、原告の会員は、原告の経費に充てるため、各自に配分される補償金の五パーセントに当る額を原告に対して支払う、その支払いの時期は、政府から各会員に対する補償金支払いの時とする旨の決議がなされたことが認められる。≪証拠判断省略≫

(三)、原告は、右認定の委員会の決議によって、原告の会員は、その受領する配分補償金の五パーセントに当る額の金員を、原告に対して支払うべき債務を負担したと主張するので、この点について判断する。

≪証拠省略≫によると、原告の連盟規約第十三条には、「定時委員会は毎年四月に開催する。定時委員会は予算、決算、規約改正、事業に関する事項等を決議し、役員の選挙を行う。委員長必要ありと認めたときは随時役員会、委員会を招集することができる。委員会、役員会は総員の二分の一以上の出席により成立し、決議は出席者の過半数を以って決する。委員は代理委任することができない。」と定められていることが認められるから、前記認定の委員会は、右規定に基いて招集されたものであり、前記認定の決議は、右規定が定める委員会の議決の要件を形式上は充足しているものと認められる。しかしながら、≪証拠省略≫によると、原告の連盟規約第十四条に、「本会の経費は左の収入による。会費、寄附金、その他。会費は年額一口百円とし、会員一人一口以上とする。但し、本人の申出により委員会の承諾を得たものは会費を免除することができる。」と定めていることが認められるけれども、右の規定のほかに、原告の会員が原告に対して金銭上の負担を負うべきことを定めた原告の規則があることを認めるに足りる証拠はない。ところで、社団の社員が、当該社団の定めた方法によって形成された社団意思による拘束、強制を受けるのは、社団の社員は、社団の定款、その他の規則によって、その受けるべき拘束、強制を予見し、これを認容して入社し、また、その地位に止っているものと解されることによることからすれば、社団がその社員に対して強制しうる不利益は、予め社団の定款、その他の規則によって定められ、社員にとって予見可能とされている種類、範囲のものに限られるものというべきであるところ、右認定の原告の連盟規約第十四条に基いて、原告がその会員に対して強制しうる金銭上の負担は、会員一名について会費として一箇年について百円を支払うことを限度とすると解するのが相当である。前記認定のとおり、原告の連盟規約第十四条には、原告の収入として、会費、寄附金のほかに「その他」と定められているが、これをもって、原告がその会員に対して会費以外の金銭上の負担をも強制しうることを定めたものと解することはできない。

してみると、前記認定の原告の委員会の決議は、形式的には原告の連盟規約に定める方式にしたがってなされたものではあるが、会員に対して、その意に反して決議の内容どおりの金銭上の債務を負わせる効力を有しないものといわなければならないから、被告らが原告の会員となったか否か、会員となったが脱退したか否か等の点について判断するまでもなく、前記認定の原告の委員会の決議によって、被告らは、その受領した配分補償金の五パーセントに当る額の金員を、原告に対して支払うべき債務を負ったという原告の主張は採用できないものといわなければならない。

(四)、昭和三十七年十月二十八日、千代田区公会堂において原告が開催した会合に被告らが出席したことは当事者間に争いがない。

原告は、 右会合が原告の会員総会であり、右総会において、前記(二)認定の委員会の決議と同一内容の連盟経費承認の件なる議案が承認されたことによって、被告らが原告主張の経費負担金の支払いを承諾したと主張し、≪証拠省略≫には、右の議案が満場一致で可決された旨の沖山鉄雄の証言の記載があるが、右証言は、≪証拠省略≫に照らすとたやすく信用できず、他に、右会合において、右議案が可決されたことを認めるに足りる証拠はないのみならず、仮に、右会合が、民法第六十二条、第六十四条、第六十五条に定める社団の社員総会の招集、総会における決議事項、表決方法に関する方式に従って適法に開催された原告の会員総会であり、かつ原告主張の前記の議案が可決されたとしても、それだけで、右会合に出席した被告らが、右議案の内容である原告主張の経費負担金の支払いを承諾したものということはできないのであり、被告らが右会合において原告主張の経費負担金の支払いを承諾したことを認めるべき証拠は何もない。

(五)、前記(二)に認定した原告の委員会の決議、および昭和三十七年十月二十八日に千代田区公会堂において原告が開催した会合における被告らの承諾ということのほかには、被告らが原告主張の経費負担金を支払うべき理由の主張がない以上、原告の被告らに対する経費負担金の請求は、いずれも理由がないものといわなければならない。

結論

以上のとおりであるから、原告の各被告に対する請求のうち、前記第二記載のとおり貸金返還請求のうちの理由のある部分を認容し、その余の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九十二条、第九十三条を、仮執行の宣言について同法第百九十六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 寺井忠)

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